<南風>ティダアパアパ


社会
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 電話の向こうの「亜子さん」は元気そうだった。彼女は、インドネシアの首都ジャカルタで日本料理店などを経営する地場企業の顧客担当マネジャーだった。新型コロナウイルス感染症拡大によるリストラで失職、このほど故郷の沖縄に帰ってきたのだ。

 本名は宮城亜希子。トレードマークのかんぷう。姉御肌で人情家。みんな親しみを込めて亜子さんと呼ぶ。ジャカルタの沖縄県人会「島ーず」の代表も務め、インドネシア在住のうちなんちゅや沖縄ファンたちの求心力だった。焼失した首里城再建支援のため、チャリティーイベントを開催、募金を集めたりもした。

 インドネシアは比較的感染発生が遅かったが、その後あれよあれよという間に拡大、感染者数、死者数とも東南アジアで最多となった。このため私も、仕事で約3年間滞在したジャカルタから一足早く帰国を余儀なくされた。亜子さんには随分お世話になり、刺激も受けた。

 亜子さんは「大好きなインドネシアと沖縄の橋渡しをしたい」と現地に残る可能性を模索した。だが、現状は厳しく、帰国を決断した。ベトナムを皮切りに北米、欧州など6カ国を渡り歩いてきたため両親と一緒に暮らすのは三十数年ぶり。「家族と一緒に住むことの楽しさを実感しています」と声を弾ませた。早速沖縄インドネシア友好協会に登録、コロナで生活に困っているインドネシア人留学生を支援するボランティアを今年から始める。一番気掛かりだった「島ーず」代表は、信頼できるメンバーに引き継いだ。

 亜子さんのように新型コロナがもたらした人生の転機は、多くが不本意なものだっただろう。だが、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」。インドネシア人がよく口にする「ティダアパアパ(なんとかなる)」。今年はきっといい年になる。
(大野圭一郎、元共同通信社那覇支局長)