<南風>「生きづらさ」と「依存症」


社会
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 2020年最後の夜、このコラムのために筆を執っている。私のメインの活動領域である「依存症」について、そして誰の中にもある「生きづらさ」が表面化した病であることについて発信していきたい。

 私は県内のクリニック、依存症の当事者団体、精神保健福祉センターで相談員として従事していく中で、この病の奥深さに驚き、生涯を通して取り組みたいテーマとなった。そこで昨年7月、会社を設立したところだ。

 回復の道を歩んでいる多くの依存症者の指針となる言葉がある。「私にお与えください。自分に変えられないものは受け入れる落ち着きを。変えられるものは変えていく勇気を。そして二つのものを見分ける賢さを」。しかし、これは依存症者だけに与えられた命題だろうか。

 誰しも自分を変えられず、「どうにもならない苦しみ」の中でもがいた経験はあるだろう。また依存症は「人を信頼できない病」ともいわれている。誰とも心が通わない暗いトンネルを抜け出した人(健常者)と、いまだ苦しんでいる人(依存症者)の差は「本人の意思・努力」「自己責任」だろうか。

 幼い頃から私は空気を読めない子どもで「このままだと人から嫌われるから直した方がいい」と言われ、人に合わせることに必死だった。20代は同じ職場で3年以上続くことがなく、自分の正義を振りかざしては周りともめて職を転々とした。生来の衝動性で自ら人間関係を壊してしまう性格も合わさって公私ともに散々な状況。変えられるものと変えられないものを見分ける賢さを持ち合わせない私は自分の「生きづらさ」を依存症当事者と重ね合わせた。

 このコラムは「私たち(健常者)と彼ら(依存症者)」という二項構造を見直す視点からスタートしたい。

(上原拓未、レジリエンスラボ代表、精神保健福祉士)