<南風>ハンドボールとの出会い


社会
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 僕は4年生の終わりにハンドボールと出会った。きっかけは仲のいい友達が水泳を辞めてハンドを始めたからだ。水泳をどうしても辞めたい僕は親に懇願した。結果ハンドは始めたのだが水泳の曜日は違うので両方続けるという最悪な選択をしたのだ。山梨県ではハンドなんて盛んではなく、関東大会に出てもいつも1回戦負け常連だったのだ。

 しかし、僕らの代は違った。僕が入った時には既にU10関東大会初優勝したチームだった。すぐにハンドの魅力にとりつかれた僕は、練習は週1しかないので、今までは学校で野球、サッカーなんかをして遊んでいたが、ハンドを始めてからは毎日仲間とハンドをして遊んだ。

 同級生には関東ナンバーワンプレーヤーがいて、彼中心のチームだった。仲間思いで負けん気の強い彼に刺激を受けてみんな頑張った。僕も5年生の秋頃にはスタメンのポジションを取ったがまだまだチームに貢献できる力はなかった。

 5年生の冬の関東大会(と言っても弱いので2部)準決勝で負けて、3位決定戦で同じチームの6年生チームに当たった。練習では3回に1回も負けない相手だったのだが、この日は違った。6年生には小学校生活最後の大会だ。それは気迫が違ってまさかの大敗。30年前のことだが今も鮮明に覚えている。これが負けるということ、これが勝たなくてはいけないこと、というのを小さいながらに感じたのだ。

 6年生になり学年で一番運動神経がいい仲間も入団してきた。学校で一番仲がよかったので何度も誘っていて、やっと了承してくれた。その後夏の関東大会まさかの初優勝、僕もベスト7に選ばれた。そのまま初めての夏の全国大会へ。

 そこで何よりも覚えているのは宮城小学校という沖縄のチームだった。
(水野裕矢、琉球コラソン代表取締役CEO)