<南風>空想の「宝物」


社会
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 子供の頃、1960年代の那覇の街は木造建築が主だった。家の近所の空き地は、家屋の廃材などが散乱していた。毎日のようにそこで遊んでいたある日、材木に打たれたままの釘(くぎ)を踏んでしまった。錆(さ)びた釘は、履いていたゴムサンダルを簡単に貫通し、激痛が走った。泣きながら家へ帰ったが、家人が傷口に当時の常備薬「赤チン」を塗って簡単に処置終了だった。

 そこからなぜか釘に興味を持った。落ちている釘や曲がった釘を木片から抜いて集め出した。机の引き出しに並べ、大きさや形で順位を付けて楽しんでいたが、ある日母親に「錆びた釘は破傷風になるから危ない」と言われ勝手に全部処分された。

 中学生になりルートビアなどの炭酸飲料が好きになった。街角には自動販売機が並び始め、輸入物のスチール缶はカラフルで好きだった。違ったデザインの缶を集めるのに夢中になり、部屋の本棚の上に飾って楽しんでいた。しかし母親に「空き缶にゴキブリが集まって来て不潔だ」と言われ勝手に全部処分された。

 月日は経(た)ち、空想「標本箱」を作るようになった。自分の価値観で収集した「宝物」が、木枠ガラスの箱にコラージュ作品として収まっている。作品は増え続け、友人の勧めでギャラリー会場を借り、多くの人の目に触れることになった。

 初めての個展、空想「標本箱」展は、意外にも多くの人に興味を持って見てもらい盛況だった。「時代の空気感を詰めたタイムカプセルだね」と同年代の人に共感されたのはうれしかった。個展を見に来ていた母親が、会場にいる人と話をしている。

 「あの子は昔から、いろんな変わった物を集めて飾るのが好きだったんですよ」。まるで収集を容認していたように聞こえる。母親に僕の「宝物」を捨てた記憶は全く無いらしい。
(根間辰哉、空想「標本箱」作家)