<南風>地球の走り方


社会
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 オートバイに乗っていなければ物語は生まれなかった。免許を大学の夏休みに取得し、その夏は自分の中の地図を愛車の中古オートバイと共にどんどん広げた。沖縄には無い県境での記念撮影、踏切での緊張の一時停止、数キロに渡る長いトンネル、森の中を駆け抜ける時の木々の香り。風を受けながら歌い、土砂降りの雨の中を笑いながら走った。

 楽しく走る学生時代が終わり、27歳で小さな輸入雑貨店を始めた。同時期に子供も生まれ、車に乗る頻度が増えオートバイとは距離を置き始めた。

 数年後、初めてインドネシアへ商品開拓に行った。観光のガイドブックはあるが、商品になるような物を何処で作っているのか情報がなく手探りでの商品探しだ。汗だくになりながら市内を歩き回ったが、欲しい商品が何も見つからず途方に暮れた。当時は欧米観光客の為の商品が多く、日本人好みのカワイイ雑貨は皆無。行動範囲を広げる為には車かオートバイがどうしても必要だった。

 予算の限られた中ではオートバイしか選択肢はない。街角のレンタル屋は格安だったが、おんぼろのホンダ・スーパーカブのみ。もはや何色だったかも分からない車体色、メーターは動かない。しかし、日本が世界に誇る高品質の原動機付自転車は大活躍した。機動性抜群で、とにかく燃費が良い。ガソリンタンク満タンで数日間大丈夫。木彫りや焼物の村、家具や染色工房を見て回ったが細い路地も小回りが効き最適だ。何となく入った道で良い商品に出会えたりすると、お宝を発見した気分になる。

 夕陽に染まった道に自分の影が長く伸び、ほのかにスパイスの香りがする。初めての外国の道なのに何故か郷愁を感じながら涼風の中をゆっくり走った。オートバイは、地球の走り方を再び教えてくれた。

(根間辰哉、空想「標本箱」作家)