<南風>関東制した小学生時代


社会
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 前話まで展開した世界選手権の興奮は冷めやらないが、一度時を戻そう。

 僕が小学生時代に感じた沖縄のハンドボールの衝撃だ。全国大会で見た宮城小は、体はデカイし、プレーも派手、何よりチームの雰囲気がすごかった。僕らのような仲良しハンドではなく、相手が怯(ひる)むような殺気も感じた。沖縄のハンドから受けたファーストインパクトは抜群だった。

 一方、僕らは慣れない、炎天下の土のコートでの試合が続き、なんとか予選リーグは突破したが、結果としてはベスト8。しかも負けたのはユニホームも着てない人数もギリギリのチーム。初めてアウトコートで試合を行い、自分たちの持ち味は出せず、エースの彼以外何もできなかった悔しさが残った。大会後山梨に戻って、また衝撃を受けた。なんとあの宮城小が地元田辺小に決勝で負けたのだ。その時に全国のレベルの高さに驚愕(きょうがく)した。

 しかし大会が終わってチームは変わった。エースの彼にマークがいくのは必然なのでその対策を徹底的にした。そして年末に関東大会が行われた。1回戦から案の定エースが徹底的にマークされたが準備は万端、誰でも、どこからでも点が取れるチームになっていた。そして順当に勝ち上がり決勝戦。相手のラフプレーがひどく、少し前の日大のアメフトを思い出すくらいの汚いファウルをされエースがつぶされた。しかし対策をしてきた僕らは相手を上回った。エースも泣きながらプレーしていたが、その姿がますますチームを鼓舞した。

 そしてタイムアップ。試合後相手の監督が平謝りしてきたのを今も覚えている。僕らの小学生時代は関東大会夏に続き2冠という最高の成績で終わった。春になり全員で塩山中学校ハンド部に入部するのだが、待っていたのは中学校ならではの洗礼だった。
(水野裕矢、琉球コラソン代表取締役CEO)