<南風>93歳のお袋と里帰り旅行


社会
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 11年前、当時93歳のお袋と2人で4泊5日で沖縄に里帰り旅行の話。お袋には散々心配かけたから、おわびを兼ねて親孝行のつもり。お袋は70代以来の沖縄。もう2度と故郷の土は踏めないと思っていた。

 外では車いすに頼るお袋は那覇空港に降り立った時の顔はうれしそうだった。初日は国際通り沿いのホテルに宿泊し、その翌日に故郷の東風平に向かいました。その日は東風平公園で町内会の運動会(約500人参加)が開かれ、お袋は「もう私のことを知ってる人はあまり生きてないよ」と車いすで参加。そしたらなんと町内会長の開会あいさつで「皆さん、本日の運動会に東風平出身の93歳の新垣菊さんと息子さんが神奈川からはるばる故郷に帰ってきました」と突然紹介。参加者全員の大拍手。お袋ははにかみながら皆に手を振ってお辞儀をした。

 運動会が始まってからもお袋の周りには暑い最中、ひっきりなしに人が寄ってきた。お袋の実家は食料品店を営み、若いころお袋は明るい性格で人気の看板娘だったみたいだ。面白かったのは高齢の70代の方々がお袋を見つけて「菊姉さん、菊姉さん!」と、子供が大人に甘えるような笑顔で集まり、遠い昔にタイムスリップした光景だった。

 3日目は平和祈念公園に行き、平和の礎に刻んであるお袋の父母の名前を指でなぜて、お袋は「お父さんお母さん、菊だよ帰ってきたよ」と涙ぐみながらつぶやいた。平和の礎には戦争で亡くなった約24万人の名前が刻まれている。皆、無念の気持ちで亡くなったと思うと、私は涙が止まらなくなり、天を仰いで「神様、ここに眠る人たちの子孫には3倍のツキをあげてください」と強く願った。

 戦争でものすごい痛みを味わった沖縄県民は頑張った。沖縄県民万歳。お袋万歳(お袋は103歳で天寿を全うした)。
(新垣進、関東沖縄経営者協会会長)