<南風>荷物のない人


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 タイのチェンマイ国際空港。荷物の受け取りを待つ人々は、ベルトコンベヤーから次々出て来る大小さまざまな荷物を見つめている。皆、自分の荷物を取り出口へ向かう。ベルトコンベヤーが止まった。自分のスーツケースは最後まで出てこなかった。空港職員に確認してもらうと、荷物はなぜか遠く南アフリカに行っているらしい。荷物が戻り次第連絡をもらうことになり、途方に暮れながら空港を出た。

 市街地に向かい、予算に合う小さなホテルを見つけた。ロビーに喫茶店があり地元の人でにぎわっている。フロントでチェックインをしようとしたが、対応した若い女性は明らかに不審な目でこちらを見ている。外国人旅行者なのに荷物を何も持っていないからだ。事情を説明し、滞在中のホテル代を全額前金で払えば泊めてくれるとのこと。お金を支払い部屋に通された。天井が高く日当たりも良くて気に入った。しかしホテルは決まったが着替えも何も持っていない。旅の初日に歯ブラシや下着を買いに行くことになるとは思いもしなかった。

 夕食は、家族連れの多いにぎやかな食堂で大盛りのトムヤムクンを食べ、ホテルに帰ったのは夜9時頃だった。自分の目を疑った。ホテル1階の10坪ほどのロビーは、にぎやかな酒場に変わっていた。すごい音量の音楽で若い男女が踊っている。人をかき分け、別人かと思うほど変貌した化粧の濃いフロントの女の子に鍵をもらい2階の部屋へ戻った。ベッドに伝わる音楽の重低音と若者の歓声でなかなか眠れない。

 そして朝になった。下に降りると元どおりの静かなロビーに戻っていた。荷物は4日後にやっと届いたが、次の日は日本に帰る日。もう重たいスーツケースを急いで開ける必要は無くなっていた。旅に予期しないハプニングは付き物だ。

(根間辰哉、空想「標本箱」作家)