<南風>中学3年の全国大会

 人にやらされているハンドボールから、自分でやるようになって全てが変わった。中学3年の大会では全試合で一番点を取り、上手なメンバーや先生から試合中無理な注文があっても全て体現することができるようになってきた。

 関東大会も2回戦からは接戦だったが、なんとか決勝まで勝ち上がり山梨県勢初の全国大会への切符を手にした。決勝戦も途中5点差をつけていた、その時アクシデントがあり膝を強打した。トレーナーから全国大会があるんだから仲間に任せろと言われ、ベンチで見守ることになった。後半最後で追いつかれ優勝目前だったのに延長戦で負けた。膝より仲間から謝られる方が痛かった。そこから全国に向けてますます気合の入る日々を送った。

 膝も何とか治り全国大会が始まった。初戦の相手は石垣二中だった。相手は体も大きく小学生の頃の宮城小のイメージがよみがえった。しかし大会前からの変な感覚が大会に入ってすぐに覚醒した。ゾーンと呼ばれる状態だ。何しても点が取れる、相手の動きが読める。その力もあり次々と強豪を破り決勝まで進んだ。

 決勝戦は冬の関東大会準決、夏の決勝延長で負けた東京の中学だった。相手もここまで勝ち上がるのは簡単ではなく既にボロボロだった。試合はずっと均衡を保ったまま前後半でも決着がつかず関東に続いて延長に。しかし真夏の1日2試合というハードスケジュールの中、鍛錬期にサボっていたツケが回って来た。僕には戦う力が残っておらず準優勝で幕を閉じた。

 大会ベスト7と得点王はもらったが欲しかった日本一には手が届かず、勝たせてあげられず、仲間に申し訳ない気持ちしか残らなかった。高校進学は県外や先輩が多くいる高校といろいろ悩んだが、この仲間ともう一度戦いたいと思い、地元駿台甲府を選んだ。
(水野裕矢、琉球コラソン代表取締役CEO)



関連するニュース







  • お知らせ


  • 琉球新報デジタルサービス



  • 会員制サービス






  • 他のサービス