<南風>愛のクラクション


社会
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 「パパ見て!月が笑っているよ」。空を見上げた娘が、満月を見つけてうれしそうにそう言った。明るく丸い大きな月が娘には笑って見えたのだろう。当時5歳、とてもおしゃべりで、周囲の大人に自分の考えたせりふを言わせて物語を作り遊んでいた。

 ある日、家の近所で車のクラクションが鳴っている。なかなか事が解決しないようで、頻繁に長く執拗(しつよう)に鳴らしている。「何だろうね、大きな音でうるさいね」と、そばで遊んでいる娘に言うと、「あれはね、運転手の恋人が窓から顔をなかなか出さないから何回も鳴らしているんだよ」。そう言われた途端、魔法にかかったように近所迷惑な車のクラクションの音が、愛のクラクションに変わって聞こえた。自分の捉え方次第で、何事も心理的状況が変わるのだと幼い娘に教えられた。

 大学進学で沖縄を離れていた娘が、久しぶりに夏休みで帰って来た時だった。高校の親しい同級生仲間と買い物やドライブを楽しんでいるようだ。そんなある日、満足げに家に帰ってくるなりこう言った。「パパ、友達という定義がわかったよ」。僕は今までの人生の中で、友達に定義など求めたことなどがないので興味を持った。

 「遠く離れていても、会うとすぐに打ち解けるから前から不思議だなと思っていた。友達はね、自分で選ぶ家族なんだよ」と言った。こんなに明解な定義があるだろうか。この定義を前提とした自分の友達は誰だろうと考えた。娘が良い友人に恵まれていることに心から感謝したい。

 そして、娘も結婚し子供が生まれ、母になり自分の家庭を持った。赤ちゃんの泣き声は大きく激しい。意味不明の欲求で娘もヘトヘトで寝不足気味だ。僕にはそんな泣き声が、母親を呼ぶ愛のクラクションに聞こえて愛(いと)しい。

(根間辰哉、空想「標本箱」作家)