<南風>立派なスタジオ


社会
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 終活の手始めに手紙を整理していたら、黒柳徹子さんからのはがきが出てきた。ナイロビ特派員だった2000年、ユニセフ親善大使の黒柳さんに同行、西アフリカのリべリアを回った。その時のお礼状だった。

 1984年に親善大使に任命された黒柳さんは2017年までほぼ毎年、アフリカ、アジアなどの紛争・災害地域を訪問、その犠牲になった子供たちの現状を報告して募金を集め、ユニセフに届け続けた。

 当時のリベリアは、7年に及んだ内戦が終結して4年目。政治が安定せず、国際社会の支援も不十分で、悲惨な状況だった。内戦で15万人以上が死亡、多くの子供が拉致され少年兵として戦争に駆り出された。

 黒柳さんは中部の街で子供たちが運営するFM放送局のスタジオを訪問、子供記者のインタビューを受けた。「このスタジオは暗くて字も読みにくいのですが、どうしたらいいですか」との質問に涙で声を詰まらせた黒柳さんは「日本の子供たちは電気もあるし、物もたくさんもっているけど、あなたたちのような立派なスタジオはもってないわ」とやさしく答えた。

 滞在中、夜は必ず同行記者と一緒に食事をし、芸能界や政治家の裏話など遅くまで話し込んだ。東京大空襲を経験した黒柳さんは、戦争を強く憎み、それが親善大使活動の原動力になっていると言っていた。

 現在87歳。さすがに足腰が弱られたようだが、精力的な活動ぶりには頭が下がる。ある番組で、私は本当に面白くなければ笑わないから、『徹子の部屋』のゲストがお笑い芸人の場合、ゲストは大変だ、と話していた。私へのはがきには今度お会いするときまで「秀逸だじゃれをためておいて下さいませ」と書いてあった。あの時、黒柳さんは笑ったが、私のだじゃれは面白かったのか、それとも気遣いだったのだろうか。
(大野圭一郎、元共同通信社那覇支局長)