<南風>透明な人


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 西暦2000年の声を聞いてすぐ、親友が亡くなった。正月の家族旅行中にハワイで突然倒れたのだ。沖縄から急いで駆けつけたが、ハワイ島の日系の寺でいつもと変わらない愛用のGパン・Gジャン、スニーカーを履き、穏やかな表情で眠っていた。

 「明日の朝から誰がパンにバターを塗ってくれるの?」。幼い長男が皆に聞いたが誰も答えられない。とても家族思いの優しい男だった。愛称は「どんと」。ボ・ガンボスというロックバンドのボーカリストだった。

 沖縄で彼を偲(しの)ぶ法事を行うことになった。会場は、どんとが沖縄で最後に演奏をしたアフリカンレストラン。いよいよ明日という日になって僕の撮影した、どんとの演奏映像を会場で上映しようと思った。最後のライブでロードムービーを作りたいと話していたのを思い出したのだ。

 急いで家電量販店に行き、当時としては最高の編集性能を持つパソコンを買った。勢いで手に入れたのはいいが、実はパソコンでビデオ編集をした経験がなかった。夕方5時頃から取扱説明書を見て、膨大な量の映像を確認しながら編集作業をした。気が付くと朝の7時になっていた。徹夜で編集できた映像はたった3分だけだった。昼過ぎから始まった会は、親しい仲間のあいさつや演奏で和やかな時間が過ぎ、会場には三線を手に歌い踊る、どんとのはつらつとした映像が繰り返し映された。

 偲ぶ会も無事に終わり、皆で後片付けを始めた時だった。突然、何か暖かい空気のような物が、自分の上半身を包むのをはっきりと感じた。目に見えない透明な人から優しく抱きしめられた感覚だった。泣き崩れてしばらく立てなかった。

 にぎやかだった会場に、どんとが沖縄に移住した頃に作った「心の中の友達」の歌声が響いていた。

(根間辰哉、空想「標本箱」作家)