<南風>沈まぬ太陽


社会
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 小倉寛太郎(おぐらひろたろう)さんと出会ったのは、ナイロビの日本料理店だった。見掛けないお年寄りが1人で食事をしていたので店主に尋ねたら、小説『沈まぬ太陽』(山崎豊子著)の主人公、恩地元のモデルになった人だという。国民航空の労組委員長だった恩地が、信念を貫いたためにナイロビに左遷されるなど懲罰人事にほんろうされる物語だ。

 ちょうど小説がベストセラーになっていた時期。私は何か記事にしようと接近した。小倉さんは私の下心を見透かしたように「新聞記者は好きじゃないんでね」とけんもほろろだった。聞けば、航空会社に在職中、無料航空券や接待を受けた見返りに会社に都合のいい記事ばかりを書く記者を見てきたからだという。言葉にやさしさを感じたので食い下がると、翌日の取材を承諾してくれた。

 小倉さんは退職後、サファリツアーのガイドなどでよくケニアに来ていた。山崎さんのアフリカ旅行のガイドを務めたことが運命の出会いとなった。雑談中にぽつりと話す、小倉さんの激動の半生に興味を持った山崎さんから帰国後、小倉さんをモデルに小説を書きたいと申し出があった。最初は断ったが、熱意に押され、それから千数百時間に及ぶ取材を受けた。

 小倉さんは「自分が会社を辞めたら喜ぶやつに、祝杯をあげさせたくなかったので最後まで歯をくいしばった。今振り返ると自分の人生はこれでよかったと思う。人生、うまくいきすぎるとそこに安住しますから」と語った。

 著書を送ってくれるなど交流は続いたが、出会って2年後にがんで亡くなり、山崎さんも他界された。タイトルの「沈まぬ太陽」は、逆境にあっても明日を信じる不屈の精神を象徴しているという。コロナ禍で多くの人が苦しんでいる今こそ、「沈まぬ太陽」を心の中に持ち続けたいものだ。
(大野圭一郎、元共同通信社那覇支局長)