<南風>沖縄のために存続


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 僕の日本リーグで居場所を作ってくれた球団は次の年、日本リーグから撤退を決めた。1年後、大学の先生から琉球コラソンの発足の話を聞き、悩んだ末、弟(裕紀、元琉球コラソン)と沖縄へ行くことを決めた。夏場の練習を耐え、迎えた開幕戦を今でも覚えています。

 体育館は満席。老若男女問わずハンドボールが身近にあり、応援している姿に感動しました。大声援を受けた開幕戦は勝利することはできなかったが、最終的に勝ち点も伸ばし、8位でシーズンを終えた。1年目はぜいたくではないが、遠征も不自由なく行かせていただいた。しかしシーズン終わりに社長が退任することになり、次の年は新しい体制での運営となった。

 メンバー、スタッフが入れ替わり新たなシーズンに向けて頑張っていた。が、1年目のような運営はできずに不安を感じていた。その心配は的中し、途中で運営会社は破綻した。

 その時、ある方が日本リーグに相談に行った。あれだけ頑張っているチームを簡単につぶしたら、東京の二の舞になる。何か支援策を考えてほしいと。その結果、僕が運営をすることを約束とし、3年間の猶予をチームとしていただけることになった。

 実は沖縄へは2年行って、家業に戻る約束をしていた。そのため少し悩んだが、まだ日本リーグでやりたい仲間がいるのに、チームはつぶせない。僕が先頭に立ってこのチームを再建して見せると。引き受けることにした。

 そこから数年の運営は、死ぬほど大変だった。身銭も何百万円も出して運営した。現在チームが発足してから14年。今も苦しい。投げ出したくなるけど、コラソンを頼り、挑戦してくれる若者を見ると、このチームは決してつぶしてはいけない。いつか沖縄の文化に、そして沖縄のためと思い運営を続けている。
(水野裕矢、琉球コラソン代表取締役CEO)