<南風>動き続ける


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 私が担当する最後のコラムとなりました。

 沖縄で「子どもの貧困」が問題視されるようになって久しい。繰り返しになるが本当は子どもの貧困ではなく大人の貧困が課題であることをこの連載を通じて感じた。

 私は沖縄では恵まれた環境で育った。両親は仲良く健在で新聞記者の父、専業主婦の母、三人姉弟の真ん中の子として、何一つ不自由なくとまでは言わないがひもじい思いをすることもなく育った。大学に行くのが当然で、県外のいい大学に行けたのは自分が勉強を頑張った努力の結果だ。

 あえて自分が恵まれていたことなんて書くかというと、私が勘違いをする原因でもあったからだ。自分の努力の結果だと思っていたものは、勉強にだけ集中して努力すればいい環境にあることの産物だった。

 多くの人は沖縄で起きている貧困問題は努力が足りない「自己責任」だという。以前の私と同じように、自分が努力できたこと自体実はスタート地点が違っていたことを本当の意味で理解していない。教育だけでなく医療や文化、全てにおいてそうだ。

 沖縄の社会は階層が分かれている。そうは言っても生活の中で接触しているのに、見えなくなっているし、見ようともしていない。分断どころか断絶していて、こちら側とあちら側の世界がつながっていない。見えないし分からないから自己責任で片付けられているのではないだろうか。

 だが希望も大きい。「何かしたいけど何をしたら良いかわからない」という人も実は多く先日たくさんの寄付をいただいたのはその表れの一つだと思う。

 私にできるのは、同じ気持ちがある人同士でつながるきっかけになること、そして動き続けること。

 不条理なことをあきらめずに、声を上げて動き続ける。
(富田杏理、おとなワンサード代表)