<南風>セレナーデの代理人


社会
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 フィリピンでは、男の人たちが好きな彼女の家の窓辺でセレナーデを歌う。母からそんな話を聞いた時はちょっと驚いたが、しかし長い間、スペインの植民地下にあったフィリピンのこと。洋楽の節に自分たちの言葉を付ければ、セレナーデにもなっただろう。

 1981年の暮れ、私は母と一緒に初めてフィリピンを訪れた。前年に父が死んで、何を思ったか、母は急に「姉さんに会いたい」と言った。母の8人きょうだいのうち5人は他界し、長女姉と末の妹が健在だった。私もなぜか、この伯母には会わなければと思った。

 さてマニラを経て3日目、私たちはパナイ島イロイロ市の義伯母(母の4兄の妻)宅で旅装を解いた。フィリピン人はにぎやかだ。これがパウラ、と母が私のことを紹介する度に歓声が上がる。その日、フィピリン語の洪水に疲れた私は、一足先に床についた。

 真夜中、男の人の歌声で目が覚めた。ダークダックスのような美しいハーモニー。あっと思った。これは、隣で寝ているいとこへのセレナーデではないか。私はドキドキしながら耳を傾けていたが、いとこは気が付かない。翌朝、セレナーデは昔の話と大笑いになった。昨夜の歌は、青年会が家を回って寄付金を集めるためのものだという。大いにがっかりした。

 2、3日後、ネグロス島の伯母宅。母が会いたがっていた長女姉だ。古いニッパハウスに伯母夫婦は住んでいた。壁にウクレレがある。若い頃、よく弾いていたと義伯父がこう話した。

 「新垣に頼まれ、フランシスカ(母の名)の所でセレナーデを歌ったことがある。日本人の新垣との結婚は皆が反対で味方したのは私ら夫婦だけだったから」

 セレナーデの代理人。私はおかしさをこらえきれなかったが、笑いながら涙が出た。通訳する母が、ウフフと小さく笑った。
(新垣安子、音楽鑑賞団体カノン友の会主宰)