<南風>余白の美


社会
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 生け花に長く携わっているからこそ、作品を創る時に意識する言葉がある。日本人は水墨画や庭園など、何もない空間を作品の一部として楽しんできた。無駄をそぎおとし、美を見いだす力。それが、「余白の美」なのだと思う。

 作品を創る時は、空間で考える。なぜなら、花は想像する以上に場を支配する力があるから。余白を取り入れることで伝えたいものを明確化し、目にとどまる箇所を意図的につくる。いくつにも伸びた枝や葉を整理し、必要とあれば美しく咲いた花を切り落とすこともある。

 二十歳を迎えたハレの日に、道の世界に入り日本の伝統や文化に触れ伝える人になりたいと思った。その後、お世話になることになった草月流の先生から、千利休と豊臣秀吉の朝顔のエピソードを聞かせてもらった。

 利休屋敷に咲く朝顔が見事に咲き乱れ美しいと評判を耳にした秀吉が、朝顔の茶の湯を願い訪れたところ、庭に咲いていた全ての朝顔は刈り取られ一輪もなかった。秀吉は内心不服に思いながら茶室へ入ると、床の間には露が打たれた見事な一輪の朝顔が生けられていた。利休の見事な演出にとても感心した秀吉は、我を圧倒する大きな花と驚嘆したという。

 一見質素にも見えるシンプルさの中にこそ、無限の美しさがある。宝のような話を聞き、これまで作品に華やかさばかりを求めてきた自身の考えが変わった。

 生涯「侘(わ)び」を追求し、美に対する哲学を持った利休からなる花生けの世界は偉大だ。さらには「引き算の美学」「粋」などの日本人独特の感性を意識し、創造して完成させる、余白を感じる瞬間を大切にしていきたい。そして、こんな時代だからこそ、心にも余白をつくり、毎日の充実や人生の豊かさにもつなげていけたらと思う。
(宮平亜矢子、フラワーアーティスト)