<南風>南三陸で学んだこと


社会
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 東日本大震災は多くの人に影響を与える出来事であった。被害に遭っていない僕が被害に遭われた方の思いをどんなに頑張っても理解できるわけではないが、感じたことを書きたい。

 環境省のビジターセンター設立に向けてマリンスポーツを実施できる場所の選定とプログラムの開発のために、震災から3年後の2014年から宮城県南三陸町を継続的に訪れている。

 当初は、海で遊ぶきっかけを作ることがわずかでも心の傷を癒やすことにつながり、笑顔を取り戻す機会になればと考えていた。県内のさまざまなゲレンデを視察しながら変わってしまった地形やがれきが散乱する海岸の実情を知り、がくぜんとした。

 そしてがれきが撤去され、地面が最大で11メートルかさ上げされ、道路や橋の位置が変わり、高くそびえ立つ防潮堤が建設され、訪れる度に街がどんどん変わっていった。今まであったものが全て無くなり、街を一から作っていく途方もない作業の中で人の強さや諦めない気持ちを強く感じた。

 さらに、人のことに構う余裕などないはずの人たちが遠く沖縄から来た私のことを気遣ってくれる。自分が役に立てればと思っていたのは思い上がりで、人のつながりや温かさを感じ、成長させてもらい、価値観を見直す経験となった。

 南三陸の志津川湾は親潮と黒潮がぶつかる肥沃(ひよく)な漁場で海産物が非常においしい。昨年は若い漁師たちがサップの指導者講習を受けてくれた。まだ復興の途上だが、育った街を良くしよう、PRしようという気持ちを持つ彼らが海の指導者として南三陸の素晴らしさを伝えてくれる。

 私の取り組むスポーツによる街づくりやヘルスプロモーションでも、街の将来は自分たちで作るもので、そこに住んでいる人が率先して取り組む意識が大切なのだと改めて感じた。
(平野貴也、名桜大学教授 博士(スポーツ健康科学))