<南風>「バッハもいいよ」と言われ


社会
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 旧美里村の中城湾に面した一帯を美東地区と呼ぶ。国道329号の高原十字路を海側に直進すると、泡瀬半島だ。地域の人たちは泡瀬の海で塩を作り、潮干狩りも楽しんできた。だがその海も埋め立てが進み、今では半島先端の米軍通信基地以外、風景がすっかり変わってしまった。

 1959年、私は美東中学校に入学した。うれしかったのは学校にピアノがあり、図書館があったことだ。私は吹奏楽部に入り、小太鼓を担当した。楽器やステレオ装置の管理のため、図書館が練習場になった。

 図書館はいつも先客がいた。英語のN先生がバイオリンを弾いている。先生は授業中、木刀を持ち、悪さをする生徒の手をそれでたたいた。怖い先生だった。その手がモーツアルトやベートーベンを弾くのである。素敵な音楽だった。これで私のN先生に対するイメージが変わった。

 ある日、私たちが練習を終えて外に出た所に、同級生のKさんがいた。軽く会釈し通り過ぎようとすると突然、「おい、バッハもいいよ」と彼が言った。彼は美東中を代表する陸上の選手だったが、音楽も好きだったのだ。しかもバッハなんて渋い。何となく悔しくて顧問の先生に話し、LP盤を買いに行った。選んだのは管弦楽組曲全4曲だった。

 いずれバッハは好きになったと思うが、中学の時に知って良かったと思う。まったくKさんのおかげだ。彼は後に琉球新報のカメラマンとして活躍する。退職後の今、趣味で三線を習っているそうだ。独奏会を楽しみにしよう。

 先日、パレット市民劇場でフレッシュコンサートを聴いた。選ばれた5人の小中高校生が琉球交響楽団と共演。難しいバイオリン協奏曲などを楽しそうに弾いていた。私の中学時代とは隔世の感がある。企画したパレット市民劇場がすごい。続けてほしいと思う。

(新垣安子、音楽鑑賞団体カノン友の会主宰)