<南風>夢に見たホール


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 いつか絶対、東京文化会館に行ってコンサートを聴く。それは1961年4月、「本格的コンサートホール誕生」のニュースに接した時からの夢だった。

 5年後、浪人生の身で上京し、国立音大在学中の長兄の下宿先に転がり込んだ。アルバイトで稼いだ金は後の学費のために貯金しなければならず、上野の文化会館は遠かった。しかし国立音大のホールで毎週、土曜コンサートが一般市民にも開放されていたから、音楽を楽しむには事欠かなかった。

 アジサイの季節のある日、「ルービンシュタイン(ピアニスト)のチケットが1枚あるが、聴きに行くかい」と兄が言った。会場は東京文化会館だという。もう、びっくり仰天。即座に飛びついたのは言うまでもない。

 上野駅公園口を出ると、真正面が文化会館である。周囲は緑の木立と花々が咲き誇っている。会館の正面には広場を挟んで西洋美術館がある。胸が躍る。

 私の席は天井桟敷の5階だった。ルービンシュタインはこの時79歳と聞いたが、若々しい足取りでステージに現れた。ベートーベンの熱情も弾いた。その音色は5階席まできれいに響いた。夢に見たホールでのあの日の感動を、私は一生忘れないだろう。

 沖縄の日本復帰の年に私は東京を引き揚げたが、沖縄の音楽事情は変わっていた。1970年に那覇市民会館が誕生し、沖縄音楽文化協会という鑑賞団体もできていた。夢のような話である。やはり体育館とは響きが違う。

 県内の演奏家、外来演奏家、いろいろ聴いたが、久保陽子や深沢亮子、小山実稚恵、イエペス、イムジチ合奏団などが印象深い。

 その後の沖縄。音響の良さをより追求して新ホールが建つ時代となった。音楽ファンとしては期待が膨らむばかりである。
(新垣安子、音楽鑑賞団体カノン友の会主宰)