<南風>地下に埋まった歴史


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 昨年11月9日付の本紙で、うるま市の藪地洞穴遺跡で約1万~9千年前の貝塚時代の人骨が発見されたことが報じられた。

 筆者は2003年に仕事で沖縄に赴任し、その後県内出身の妻と知り合って沖縄に定住した、いわゆる「うちなームク」である。観光ではなく生活の本拠として沖縄に定住すると、港川人など古代人の人骨など先史時代からの遺跡や遺物が豊富にあることに気付く。

 筆者は本土出身だが沖縄県出身者の特徴を持った顔つきだとよく言われる。言われてみると、港川人の頭骨から再現された人面はどことなく自分と似ている。ひょっとすると、筆者の祖先は遠い昔に沖縄や南西諸島から渡ってきた人々の末裔(まつえい)なのかもしれない、などといった空想に駆られる。

 歴史をひもとくと、琉球王国時代には久米三十六姓など中国から移住した人もいたし、明治維新後には本土から沖縄県に赴任・移住した政府関係者や民間人も多数いた。勝連城や今帰仁城からは朝鮮、中国、タイやベトナムの青磁や瓦が大量に出土している。

 現代では、筆者のように沖縄の風土が気に入ったり、うちなームクとなったりして沖縄に定住する県外出身者も珍しくない。沖縄という土地は、古来から中国大陸、朝鮮半島、日本本土、東南アジアと頻繁にヒト・モノが行き来する場所だったといえそうだ。

 遺跡の歴史を知ると筆者のように自分のルーツを重ね、南国リゾートとは違う沖縄の側面に興味を持つ人も増えるかもしれない。

 19年には首里城が焼失し、20年には新型コロナ感染が拡大したため、県内観光関連業者が非常に痛手を被った。日本国内やアジア各国から沖縄に再び人が集まるための鍵は、首里城再築など「地上の箱モノ」ではなく「地下に埋まった歴史」の丹念な調査が握っているのかもしれない。
(絹川恭久、弁護士・香港ソリシター)