<南風>命を考える社会


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 殺処分ゼロという言葉に違和感を覚える。それは幸せな犬や猫が増えた数字ではないと感じるからだ。

 11年前、職場がある浦添まで自転車で通勤をしていた。その通勤路で毎日というほど、車にひかれて亡くなっている猫に出合う。これ以上ひかれないようできる限り亡きがらを拾うことが当たり前になっていた。私のリュックにはいつでも亡きがらを拾えるようにビニール袋とタオルを入れて通勤するようになる。

 2014年当時、沖縄県は犬猫の殺処分数が全国上位だったが、近年は大きく殺処分数が減少した。大変嬉しいことであるが、手放しで喜べない現状がある。

 それは、行政が成果を主張する「殺処分の減少」や「殺処分ゼロ」は、行政の取り組みだけではなく、その裏側で大きな負担に身を削りながら、動物愛護管理センターに収容された犬猫や、外で生きる飼い主がいない猫を何とか救いたいという思いで必死に保護譲渡につなげるボランティアがいるからだ。

 私が活動を始めた8年前と比べてボランティアの数も増えている。受け皿が増えたにもかかわらず、どのボランティアも常に多くの保護犬猫を抱え、終わりの見えない状況が続いている。

 また、12年度の動物愛護管理法の一部改正により、やむを得ない事由がない限り行政は引き取りを拒否できることになった。そもそも動物愛護管理センターに収容しないため、その分の殺処分数が減るのだろう。

 根本的な問題の背景を理解せず、殺処分ゼロという言葉だけに目を向けてしまうと数字にとらわれ、数を減らすことを目標にしてしまい、本当に解決しなければならない問題が置き去りになる。根本的解決は保護が必要な犬猫を生み出さないこと。それは命についてきちんと考える社会になることではないだろうか。

(畑井モト子、琉球わんにゃんゆいまーる代表理事)