<南風>遺言の主役は?


社会
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 近年、高齢化社会を反映して、相続に関する話題を聞くことが多い。金融機関や弁護士、税理士、司法書士など専門家が、相続に関するサービスや情報を豊富に提供している。

 「相続」というと、財産を残して亡くなる人、すなわち被相続人が主役とみられがちだが、筆者は少し違うのではないかと思う。

 故事を引くと、ローマ帝国の事実上の創始者カエサルの例がある。彼の暗殺後、公開された遺言では、政治的・軍事的権力を握る腹心の部下アントニウスではなく、当時一介の学生にすぎなかったオクタヴィアヌスが第一後継者に指名されていた。その後カエサルの意思を受けた彼は元首となり帝政ローマを確立したことはよく知られている。

 この事実は非常に多くのことを示唆している。遺言が無ければ、オクタヴィアヌスは初代元首(皇帝)とならずローマの歴史は大きく違ったはずだ。カエサル死後の歴史過程は、カエサルが遺言にはっきり意思を示した結果である。遺言とはすなわち、自らの死後残された者たちにはっきりと指針を示すことだ。遺言の主眼は被相続人(遺言作成者)自身ではなく、後を襲う相続人たちの問題整理・予防にある。

 常々遺産分割を巡る相続人間の争いに接していると、亡父母(被相続人)が遺言(書面)ではっきり意思を残してくれたらよかったのに、と思うことが多い。相続人らが各自「亡父はこの財産を自分に残すと言っていた」うんぬんという主張をし合ってらちが明かないことが多い。

 子孫に美田を残すのはいい。しかし遺産を巡る争いを未然に防ぐため、遺言を残すのは旅立つ者のある種責務ではないかと思う。

 カエサルほど完璧にとは言わないまでも、人生を全うする仕事の総仕上げとして、遺言を残すことが必要ではないかと思う。
(絹川恭久、弁護士・香港ソリシター)