<南風>幼い頃の食の記憶


社会
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宮國 由紀江

 私の実家は、私が生まれる前から商売をしており、母がゆっくり家にいた記憶がない。唯一、夕食を作りに従業員のお姉さんにお店を任せ、夕方ごろ、帰って来て急いで夕食を作り、午後6時の交代時間に間に合わせ、お店に戻っていく。このような生活は私が高校を卒業するまで続いた。

 母が台所に立つと、私もそばに立ち、お手伝いをよくやった。その時の思い出として、母がピーマンのヘタを切って中の種を抜き取り、その中に水道水を入れ、ヘタをふたにして「はい、どうぞおいしいお水ですよ」と、洗い物をしている私に差し出してくれたことが今でも忘れられない。

 私はレシピを考える時に、野菜を器代わりに使ったり、盛り付けしたりする時の発想が、あの時の記憶を合わせながら浮かぶことが多くある。そしてピーマンは私の好きな野菜の一つである。

 一方、厳しい父が時々、母が忙しい時に朝ご飯を作ってくれた。オートミールかゆ。とても衝撃的で、色も白ではなく、米のような粒もなく、見るからに食べたくないと思ったことも忘れられない。「体にとても良いから食べなさい」と言われ一口食べてみたら、案の定、私の想像していた通りで、「やっぱりおいしくない」と心の中で叫んだことも忘れられない。

 母のピーマンの件も、父のオートミールかゆも、たった1回のことだったが今でも記憶している。このようなささいなことだけど、幼少期の記憶には残る。経験が、良い思い出、悪い思い出、好きな食材、嫌いな食材を作ると感じた。人の食の記憶は、その時の食事環境や、その時の会話などが大きく影響することも食に携わる仕事につき、思い出させられた。単なる栄養管理だけでなく、食事をする時の環境はとても大事ということも昔の記憶を振り返り考えさせられている。

(宮國由紀江、国際中医師)