<南風>産後第二の人生を歩む


社会
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宮國 由紀江

 初めての妊娠は、全前置胎盤で妊娠初期から出産まで絶対安静の入院生活を送ることになり、病院勤務の私と患者さんとの立場が逆になった。入院生活で一番の楽しみは食事、中でもうれしかったのは家族からの差し入れ、ハンバーガー・ポテトフライは最高のごちそうに思えて元気づけられた時もあった。

 産後すぐに職場復帰を望んだが、娘が風邪をこじらせ入院するなど、結局、娘にも職場にも負担をかけてしまうと思い、人生最大の決断をし、ずっと続けたかった病院栄養士を退職した。その後すぐに、病院と同じような食事管理ができる弁当屋を開業しようと決めた。それなら娘との時間も作れると気軽な気持ちだったが、その弁当はクチコミで広がり1日300食の注文が入るなど大がかりになり、結局娘は保育園に預けることになった。

 ところで、その弁当は基本メニューに個別対応をし弁当には、名札をつけ主食アチビー・主食おにぎり、おかずはキザミ・ニンジン禁・卵アレルギーなどとお客さまの要望に合わせ対応した。特に盛り付けに気を配り、必ず弁当には栄養のお話などを書いたお手紙も添えた。

 健康で美しくという意味を込めて「健美弁当」と名付け宅配。問題を抱えているお客さまは私が配達し、病院栄養士とつなげる役割や、弁当を全部食べられない方へは栄養管理を行い、なおかつおいしい弁当を病院の売店などでも販売した。私の中で弁当屋はビジネスの感覚はなく、食事管理で困っている方のサポートをしたいという思いで開業した。

 あれから娘は今、21歳。9月から台湾の大学に留学が決まり親元から巣立って行く。私は健美弁当開業がきっかけとなり薬膳に出合い、現在は薬膳教室を中心に弁当業務を縮小し次のステップへ準備中だ。

(宮國由紀江、国際中医師)