<南風>エイサーの思い出と変化


社会
<南風>エイサーの思い出と変化 小橋川響、ラジオ沖縄アナウンサー
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 沖縄全島エイサーまつりが昨日からコザ運動公園陸上競技場を主会場に開催されている。新型コロナウイルス禍による中止が続き、4年ぶりの開催。私もエイサーの街・沖縄市出身者として、幼い頃から親しんできた祭りの開催にちむどんどんしている。

 旧盆が近づくと各地域の青年会が公民館などでエイサーの練習をするのは今も昔も変わらない。中学生になった年、私も旧盆で地元青年会のエイサーに参加することになった。参加者は私が最年少だったのではないだろうか。メンバーには同じ中学の先輩や地元の高校生たちばかりで同級生は一人もいなかった。先輩の言うことは絶対だった当時、内気な私は完全に萎縮してしまった。

 今思えば彼らは丁寧に踊り方を指導してくれたし、初めて参加する私を何かと気にかけてくれていたと思う。だが私はそんなことにも気付けずにびくびくしていた。その年の青年会の道ジュネーに参加したとは思うが、よく覚えていない。結局、私が旧盆のエイサーに参加したのはこれが最初で最後だった。思えば本当にもったいないことをした。

 そんな地元のエイサーだが、私が子どもの頃とは様相が変わってきている。当時は市街地の突き当たりにあるわが家の前まで道ジュネーがやって来て、集まった人々がおひねりを渡していたし、太鼓や三線の音は日をまたいで聞こえていた。だが今はそんな光景を見なくなった。時代とともに変化を求められる部分があることは理解できるし、きっといろいろな事情があるのだろうとも思うが、思い出の姿との違いはやはりさみしくもある。

 とはいえ、せっかくのハレの日だ。非日常のわくわくの中で指笛や太鼓の音が鳴り響き、大勢の見物人で盛り上がる勇壮なエイサーの舞がいつまでも見られる沖縄であってほしい。

(小橋川響、ラジオ沖縄アナウンサー)