<南風>71年目の謝謝


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 先日、台湾の学生が私の勤める公民館に視察研修に来た。高齢者看護を学ぶ彼らに、私は感謝を伝えたいと思っていた。71年前の出来事に。その機会は事例発表を終えて地域散策の時にやってきた。地域のすぐりむん(自らの経験・知識を地域に提供している、認定された方々)による散策だ。

 識名宮や井泉をめぐり、最後に新壕(ミーゴウ)というガマを紹介した。ここは戦時中に沖縄県知事・島田叡も利用した。島田叡といえば荒井退造警察部長と共に力を合わせ多くの命を救った「島守」として知られる。特に10万人余りの疎開は県民と運命を共にした二人の指揮官の下、県職員・警察職員が結束したことが大きいだろう。
 71年前の出来事とは、食料不足を見越し、島田知事を通して台湾から米450トンをいただいたことだ。台湾米で命をつなぎ戦後、沖縄の復興に尽力した人が少なからずいるはずである。
 すぐりむんの方と私は、壕の前で「あの時は、ありがとうございました」と頭を下げた。台湾の学生は、身に覚えのないことだろうが、ほほ笑んで返してくれた。胸の中の何かがスッと溶けていく気がした。
 数日後、沖縄本島北部で戦時を過ごした亡き祖父の話が気になった。大学時代に聞き取ったメモを開いてみる。「食料が底をつき探し回っていたら、本部(もとぶ)に大量のお米」という走り書き。まさか、と思った。命をつないだ一人は、祖父だったのではないか。
 世代を超えて、国をまたいでも伝えたい感謝がある。そんな絆が、沖縄の可能性を高め、これからのグローバル社会も切り開くのではないだろうか。今年は世界のウチナーンチュ大会が開催される。沖縄と海外を結ぶ大きな祭典だ。ルーツを確認し、親族や故郷を支えた世界に感謝する日としたい。
(南信乃介、NPO法人1万人井戸端会議代表理事)