<南風>ロシアで迫られた決断


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 2008年3月、私はロシアのハバロフスクに来ていた。太平洋国立大学の建築・デザイン学部が主宰する国際交流フォーラムに参加するためだ。ロシア、日本、韓国、中国、英国などから参加者が集まり、研究発表・交流する場である。

 その1カ月前、私は関東学院大学建築学科4年間の集大成である卒業設計の発表に向けて、全エネルギーをつぎ込んでいた。恩師の久恒利之先生の指導のもと、私のパッションを信じて手伝ってくれた仲間の力強いサポートのおかげで、無事完成できた。
 大学での発表は通常スーツで行われる。私の直前の発表者がスーツを着ていなかったため、教授の一人が彼を怒鳴った。そんな中、私は、沖縄の絣(かすり)を着て待機していた。鼓動の高鳴りと手の震えはピークに達した。
 黄色の絣に身をまとい、おだんごカンプーで登場した私に、教授もあぜんとしていた。沖縄の観光をテーマに、地元への誇りの大切さを訴えるプロジェクトだったため、スーツ姿ではマッチしないという思いからの決断であった。発表の結果は、大学代表に選ばれ、ロシア行きが決まった。
 ロシアでの発表もスーツだと聞かされていた。私はスーツケースに、スーツと絣をこっそり忍ばせた。
 発表当日。各国の教授たちを目の前に英語での発表。息ができなくなり、原稿を握り締めた。私の番がどんどん迫ってくる。私はスーツを着ていた。しかし、一瞬ある考えがよぎった。「絣で行くか」。違う国のマナーなど分からない。裏目に出るかもしれない。
 そして本番、私はロシアの大きな講堂の真ん中に、黄色の絣とカンプーで立っていた。緊張で周りの反応は覚えていないが、最優秀賞グランプリを取った。
 人と違うことをするのは怖い。リスクがある。でも時に、自分の気持ちに従ってみるのも悪くない。
(比嘉具志堅華絵、ハワイ沖縄連合会会員、『SHINKA』副会長、1級建築士)