大阪市には大正区を含め九つの区に沖縄県人会があります。これに堺沖縄県人クラブと、沖縄関係企業の在阪支社懇話会を合わせた11団体で構成されているのが「大阪沖縄県人会連合会」です。
終戦直後、海外から舞鶴港に復員兵の方々が帰還するにあたり、各都道府県は知事を先頭に議員や幹部など多数で出迎えました。占領下の沖縄からは出迎えに来ることもできません。舞鶴港で沖縄出身の復員兵を出迎えたのは、帰還を新聞で知った大阪沖縄人連盟本部(大阪沖縄県人会連合会の前身)の代表2人だけでした。
「沖縄人連盟大阪本部」と大書したのぼりを手に桟橋に立つ2人。上陸した復員兵の集団の中から沖縄出身の兵隊さんが走り出て、のぼりを持つ2人に抱きつき共に涙を流しました。
終戦当時、この連盟本部は大正区泉尾北小学校を大阪市と交渉して借用し、沖縄出身の引揚者を受け入れ、援護しました。何十世帯もの家族が校舎で生活し、引揚者の医師たちが軍隊関連の払い下げ医療器具を入手し、病院まで校内に設置していました。
復員兵が校内に到着すると沖縄民謡と舞踊で慰労し、兵隊さんたちは涙を流して感謝し喜ばれたそうです。
大阪沖縄県人会連合会は今年で創立70年を迎えました。活動拠点となる大正区の大阪沖縄会館は2013年に大改修を終え、ホールでは沖縄舞踊やエイサーが度々演じられ、大阪での沖縄文化の発信基地となっています。嘉手川重義会長と一緒に改修の寄付依頼に奔走したのも忘れがたい思い出です。
10月1日には琉球新報と連合会主催の創立70年記念フォーラムが大正区で開催されます。大阪ウチナーンチュの歩みとそれを支えた沖縄文化の素晴らしさを振り返りたいと思います。
(筋原章博、大阪市大正区長)