<南風>「なぁーごぉー」


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 那覇の小学校に通っていた頃、ナーゴーという遊びが流行(はや)っていました。プーカーボールを持った鬼が「ナーゴー!」と絶叫しながら、ボールを思いっ切り遠くに投げます。ボールが着地する前に、できるだけ走って遠くに逃げる、という内容だったと記憶しています。この「ナーゴー」がどういう意味なのか全く分からず、ひたすら遊んでいた与儀小学校生でした。

 今帰仁に来て数年たち、ある講座で講師を務めることになりました。那覇にいた頃、「山原」とは山と海の自然の宝庫、国道58号を車でぐるっと一周した範囲で、昔の沖縄が残っている癒やしの場所という程度の認識しかなく、それが無知だということにすら気付かなかったことを話しました。

 その最中、突然「あの『ナーゴー』は『名ー護ー』だったんだ!」と悟りが降りてきたのです。ボールよ、名護ほどまでも遠くへ飛んで行け!という気合の言葉だったのですね。

 今帰仁村与那嶺出身の言語学者であり、ひめゆり平和祈念資料館の初代館長だった仲宗根政善先生は「今帰仁の色に濃くそめ」という文章の中で「与那嶺か、あんなところに何があるか。今帰仁か、あんなところに何があるか」と、生まりジマを卑下し、見ようとしない若者の浅はかさについて記しています。しかしそれは、外から訪れる私の眼(まなこ)でもありました。

 投げるボールの先に、私と同じ小学生は住んでいなかったし、癒やしのドライブで素通りするムラに、癒やしを求める人を見てはいませんでした。

 運動場を無邪気に駆けずり回っていた私は、今度はどんなボールを「ナーゴー」って叫んで投げるのかな。いま今帰仁に暮らす私は、そのボールをうまくキャッチできるかな。落とさないように構えているから、優しい球をお願いね。
(石野裕子、今帰仁村歴史文化センター館長)