<南風>沖縄を変えた男


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 小学生の頃、地元の少年野球チームに入っていた。父親が監督をしていた。毎日夕方に自宅隣の練習場で日が暮れるまでボールを追っかけていた。

 日曜日は、ほぼ練習試合や大会などに参加していた(今にして思えば、父も大変だったろうなと頭が下がる思いがする)。阪神タイガースが強い時代で、掛布やバースの物まねをして遊んでいたのを思い出す。本当に楽しい思い出だ。中学からはサッカー部に入ったので、私の野球経験は少年野球で終わった。

 野球から遠ざかっていた高校2年の夏、地元名護の神谷善治先輩がエースの沖縄水産が、甲子園で大活躍した(神谷先輩は小学校の頃からすごかった。何度か練習試合で対戦したが、ボールが速すぎて、思わず打席から逃げそうになったのを覚えている)。

 決勝戦、息の詰まる投手戦、0―1で迎えた九回裏、沖縄水産の攻撃、ツーアウト2塁。レフトへのあの大飛球は鳥肌が立った。そして翌年、打って打って打ちまくる強いチームと、同じ年の大野投手が、必死に投げる姿に感動した。あの沖縄水産の2年連続準優勝は、沖縄だってやればできる、と心から感じさせてくれた出来事だった。

 沖縄尚学、興南の優勝につながる起点だったと思う。その沖縄水産を率いた裁監督をモチーフにした映画、「沖縄を変えた男」が、もうすぐ公開される。本当に楽しみだ。

 今の若者には想像もつかないと思うが、あの頃の「沖縄の若者」には、沖縄ゆえの拭えないハンディキャップ感や劣等感が確かにあった。沖縄水産の大活躍は、それを吹き飛ばしてくれた出来事だった。

 われわれ第2次ベビーブーマーも40歳を過ぎ、いよいよ責任世代ど真ん中である。沖縄を変えた男にもらった勇気をもって、沖縄を変える男を目指したい。
(寺田克彦、テラ・ウェブクリエイト社長)