<南風>ふるさとに想いをよせて


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 大正区には琉球舞踊4流派の11の教室があり、大正琉球舞踊協会が流派の違いを超えて伝統文化の継承に力を注いでいます。

 戦後の厳しい時代、大正区で沖縄出身者の心の支えとなったのは沖縄芸能でした。沖縄出身復員兵を大正区で受け入れた際も、上陸の度に琉球民謡と舞踊での慰安激励がなされました。

 終戦直後の1946年に大阪市で復興推進のための「復興祭」が挙行され、市内の4千の町会から選抜された各区の代表がさまざまな舞踊を競いました。大正区の代表は、北恩加島第5町会から琉球舞踊で参加し、区の大会で優勝した羽地村出身の当時8歳の少女。「むんじゅる節」と「芋の葉節」を踊った少女は見事に大阪市の大会でも優勝を飾り、会場は沖縄出身者の拍手と指笛に沸いたそうです。

 私も大正区長就任後に三線を練習し始め、沖縄県人会の会合ではしばしば舞台に上がらせていただき演奏をします。県人会の皆さんは笑って聞いてくれますが、琉球民謡の先生には「それはギターの弾き方」とご指摘を受け恐縮しています。こういう場の活気を見ても、沖縄芸能が生み出す「ひやみかち」パワーと一体感を実感することができます。

 1866年、琉球王朝最後の尚泰王の戴冠式で、中国皇帝の使者・冊封使をもてなす御冠船踊(うかんしんうどぅい)を踊った嵩原安宏翁が伝えた冠船流。家元の川田禮子先生は東京におられますが、関西支部の川田綾子先生が大正区で教室を開かれています。綾子先生はご両親が戦前に沖縄から大阪に移住し、物心つく前から琉球舞踊を習われ、「先祖の眠る沖縄で踊りたい」という夢を持たれました。

 来る11月20日に国立劇場おきなわでの公演「ふるさとに想(おも)いをよせて」で、その夢を実現されます。ぜひ多くの方々にご高覧いただきたいと思います。
(筋原章博、大阪市大正区長)