<南風>沖縄サブカルの夜明け


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 県内初の本格的タウン情報誌の「月刊おきなわJOHO」は、若い人たちのコミュニティーマガジンとして注目を集め、後に沖縄のサブカルをリードする雑誌として評されるようになる。

 とはいえ、作っている当人たちはそういうことは全く意識せず、自分たちが見て聞いてやって食べて嬉(うれ)しいことや、楽しいことは読者も面白いと信じて、いろいろなことを掲載した。ただ、音楽や演劇、絵画といった文化的なものは、今までの沖縄にはなかった新しいスタイルのものを掲載していた。

 沖縄のサブカルは本土と少し違い、いわゆる沖縄の文化そのものがサブカル的要素があった。その始まりは復帰前後で、「ハイサイおじさん」が街に流れ、「紫」や「コンディショングリーン」が本格派ロックバンドとしてメジャーデビューを果たし、オムニバスレコードをリリースした「沖縄フォーク村」が県内で人気を博した時代でもある。いわば本土復帰という大きな節目が沖縄のサブカルを目覚めさせたのである。

 しかし、沖縄のサブカルが本格的な夜明けを迎えるのはさらに後の話である。

 本土復帰から約10年後、本土で大学生や社会人として数年過ごした若い人たちは沖縄に戻ると、沖縄の良さや面白さを何らかの形で表現したいと思うようになっていく。一度沖縄を離れたことで、沖縄の持つ潜在的な力、底力に気付き、その思いがマグマのようにフツフツと沸き立ち、爆発的瞬間を待ち望むようになる。

 そんな時にタイミングよく「おきなわJOHO」は発刊した。沖縄スラングもアリの雑誌は、沖縄なまりのDJがしゃべるラジオ番組やウチナーヤマト口の芝居、重厚なサウンドの沖縄音楽、独特な空気感と色合いの映画、沖縄の光と影を捉えた絵画などとともに、毎月、今の沖縄を発信し続けたのであった。
(嘉手川学、沖縄ふうどライター 沖縄泡盛新聞編集委員)