<南風>ポーク缶詰と本来の暮らし


社会
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 大学時代から那覇に行くと、帰りはポーク缶をたくさん東京に持ち帰った。今もよく食べる。先日、その缶詰を1週間近く、毎食食べることになった。

 ところはエニウェトク環礁でのこと。沖縄から約3500キロのマーシャル諸島北西域、赤道と日付変更線に近い太平洋の真ん中あたりにある40余の小島が連なり円周80キロの輪を描き、白い砂浜に濃い緑の木々がまぶしい。

 島の食べ物はヤシの実、パンノキ、タコノキ、パンダナスの実などで、かつてはタロイモも食されたが、今は採れない。

 環礁の中海は浅瀬で穏やかで魚が多いけれど、全体に食料は足りないという。島の人は600人くらい。半分近くが子どもで、学校に通う子は190人と聞いた。

 足りない食料は3カ月に一度、船で届けられる。アメリカが配給する缶詰類と10キロ入りのコメ袋だ。私たちもそれをいただいた。食料倉庫を見て驚いたのは、段ボール箱が十数個しかなくガランとしていたからだ。来月には船が来るという。

 不足しがちな食べ物を分けていただき、島を去る前日には豚を一頭つぶし、魚をたくさん捕ってきて歓送会を開いてくださった。

 島々から食物を得る本来の暮らしは、アメリカの核実験で奪われたのだ。1948年から58年まで44回、うち水爆3回、のちに住むために三つの島を数年かけて米軍が放射能を除去し、80年に島の人たちは戻った。しかし汚染の残る島々の食物は禁じられ、汚した側が威張っているとの不満をたくさん聞いた。

 同行の医師の健康診断では高血糖、甲状腺肥大の方が見受けられ、食事や核が影を落としているのではとも思われた。食べきれなかったポーク缶をお返ししながら、晴れない気持ちで島を離れた。
(安田和也、第5福竜丸展示館主任学芸員)