<南風>エディの自由な魂


社会
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 鬼門に入って久しいコンディション・グリーンのベース担当のエディのエピソードを語ろう。原因は知る由もないが、コンディション・グリーンが解散し、ひと月ばかりエディは不明となった。コザのホテルでひたすら酒を飲み続けたのだ。

 恐らく、コンディションとの決別の疼痛(とうつう)が自らの精神と肉体を追い詰める、スパークした通過儀礼を経てしかなし得なかったのは、まさにコンディション・グリーンたるゆえんであったろう。超個性派ぞろいのメンバー個々が、時代のうねりの狭間(はざま)でヒートし、クラッシュしたとしか言いようがない。「助けてくれ」とのエディの架電を受け、そのまま南部の病院に運んだ。ここが第一のエピソードの舞台だ。

 病院患者で、十数年間他人に声を発することもない精神を病んだ女性がいた。何とエディはたった1週間で彼女に「エーデルワイス」を歌わせたのだ。エディの偏見のない自由な魂のありようが彼女の心の扉を開けたのだろう。院長も「奇跡だ」と驚愕(きょうがく)したものだ。

 次はアメリカツアーでのエピソード。面々はハンバーガーに飽きて無性に天ぷらが食いたくなったらしい。衣にするメリケン粉を必死に探すのだが、言葉が通じない。炊事班長のエディは、スーパーの陳列棚にある粉ものを片っ端から指で穴を開け、中身をなめてメリケン粉にたどり着いたそうだ。

 あと一つ。エディが諸見里の国道を歩いているとタクシーが急停車した。「エディ、まーかいが?(どこへ行くのか)」と喜納昌吉。「めーかい(前に行くのだ)」とエディ。「やみ(そうかい)」と昌吉は忽然(こつぜん)と去るのだ。これは高度な禅問答としか言いようがない。(私と)海で出会い、海に散ったエディ(潜水業を生業(なりわい)にしていた)。彼の愛用したグレースのベースギターは当方が預かったままだ。
(渡具知辰彦、県交通安全協会連合会専務理事)