<南風>日大での鍛錬と監督業


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 一浪して、入部を果たした日本大空手部の練習のきつさは想像以上だった。先輩方には高校総体や国体の優勝選手がざらにいて、チームは全日本学生で優勝している強豪校でもあった。

 練習もそうだが、上下関係も厳しかった。常に「オス」と答え、「いいえ」のない世界。先輩の二つ先の動きを読んで行動することをたたき込まれた。

 3年次に好機が巡ってくる。40人近くいる部員の中で、関東個人戦出場を果たし、3位入賞した。レギュラーの座をつかみ、団体戦でのポイントゲッター的役割を任せられた。学生時代の4年間、全国トップクラスの強豪校で競技生活を経験したことは大きかった。

 そのころに海邦国体があった。現役選手、コーチ、監督としてあの時代からずっと関わり続け、国体でも軽量級、中量級、重量級、無差別と全ての階級で入賞することができた。

 180センチを超す選手だらけの学生時代、170センチ、62キロの体だが、武器のスピードでやってきた自信、上下関係の中で覚え込まされた先の先を読むこと。こうしたことが今の監督業に生かされている。

 大学のチームメートが大学の監督や各県の国体監督などを務めていることも多くいろいろなカテゴリーのチームとのパイプが県勢の成長につながると感じている。母校の日大だけでなく、沖縄の生徒を全国トップの強豪大学などに送り出すことも仕事と考えている。

 2020年の東京五輪に沖縄から選手を送る目標もあるが、18年には18歳までの世代が対象のユース五輪(ブエノスアイレス)で空手の採用が決まっている。

 こうした国際大会に、県勢が形でも組手でも常に出場できれば、沖縄空手のブランド力はさらに上がる。空手会館も建った。世界の強豪と汗を流す児童生徒から、世界に羽ばたく選手を育てることは夢ではない。
(田村正人 県空手道連盟強化委員長、県立前原高校教諭)