<南風>だったら私は「バカ」がいい


社会
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 早いもので、これが最後の回になりました。

 連載には躊躇(ちゅうちょ)もありましたが、思いのほか読者の方とのつながりを感じることができた半年間でした。

 私の連載については、社会への批判がなく生ぬるいとのご意見もいただきましたが、私としては、今のご時世で夢や理想を語ることこそが、一番の社会風刺、問題提起であるという思いで連載を続けました。

 私が幼い頃、父は常に理想を語り、母は常に愛情を注いでくれました。決してお金はなかったのですが、家はお金より大切なことで溢(あふ)れていました。

 もちろん、生活は厳しかったです。けれども、厳しい現実の中で、理想を持ち続け、愛情を注ぎ続けることの大切さ、人としての本当の強さを、両親は身をもって私に教えてくれました。

 この社会はいつから「現実だけを見る人」を「大人」と呼ぶようになったのでしょうか。私が幼い頃は「厳しい現実の中でも、理想と愛情を持ち続けることができる人」こそが「大人」でした。

 お金も大切でしょう。地位も、役職も、時には大切かも知れません。けれども、人にとって、それが本当に一番大切なことなのでしょうか。

 正直者はバカをみる? だったら私は「バカ」が良い。

 年を重ねるにつれ、厳しい現実の中で「バカ」をみることがあるかも知れません。でも、バカをみても、人にバカと言われても、最後には理想を語り、人に愛情を注ぎ続ける、本当の強さをもった大人になりたいと思うのです。

 まだまだ悩み、迷う日々ですが、今の時代に忘れられた、しかし大切なこと…それはやはり、現実に向き合いながらも抱き続ける理想、人への愛情、人を大切にする気持ち、そして夢だと思うのです。

 半年間、ありがとうございました。
(白充、弁護士)