<南風>原点はみんなの孫


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 幼い私には分からなかった。生まれ島である、島の言葉が。それでも、祖母の唄三線は当時6歳の私の心を惹(ひ)きつけるには充分だった。

 稽古場へ向かう祖母を呼び止め、一緒に連れて行ってとせがんだ。おじぃ先生を囲むように、おじぃとおばぁが数人、話に花を咲かせていた。皆の笑顔に迎えられ、気恥ずかしいながらも、なんだか嬉(うれ)しくなったのを覚えている。この日から私はみんなの孫になった。

 稽古は、三線を持っている時間よりも、お茶を片手にゆんたく(お話)している時間の方が多かった。笑い声は絶えず、思い出したかのようにまた唄い出す。その横で座布団に眠る私を、誰も起こさなかった。なんとも贅沢(ぜいたく)な子守唄だった。

 師匠に頼み込んで、晴れて弟子として通えるようになったのは、外で遊びたい盛りの7歳だった。学校を終えて、ランドセルを家に置くなり、三線を抱えて稽古場に駆け込む日々が始まった。

 稽古はとにかく楽しかった。知らなかったことを知る喜び、できなかったことができるようになる喜び。その姿を目を細めて見守る大人たち。期待に応えるように、稽古に励んだ。皆の笑顔が見たい。喜んでもらいたい。今でもそれは、唄い続ける原動力になっている。

 唄三線の楽しさを教えてくれた、当時の師匠も祖母も、もうこの世にはいない。線香を前に、CDを供える。カセットじゃなくてごめんなさい。民謡「タミノウタ」。想(おも)いを継いで、ウタを届けています。見守っていてください。いつもより長めに手を合わせ、ニライカナイで笑っている姿を思う。

 照りつける陽ざしの中で、伸びやかな声と、三線の音が聞こえる。8歳の姪が楽しそうに三線を抱えている。
(上間綾乃、歌手)