<南風>差別を受けて


社会
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 これまでの人生で、「差別を受けた」と感じた場面が何回かある。私の場合、一番長期間にわたって感じている理由は「性別」だ。

 大学の合宿先でのこと、食事の後、各自で食器を片付けるよう指示された。ところが突然1人の同級生が「そんなのは女の仕事だ」と言って席を立った。同調して男性全員が席を立った(教員はその場にいなかった)。同じ学費を払い、同じ試験を受けて大学に在籍している「仲間」から、「女性である」というだけで受けた突然の理不尽な仕打ちに、ひどく驚き、その後震えるほど怒りを感じた。しかし、席を立った側は恐らく誰1人このことを覚えていないのではないかと思う。

 2016年144カ国中日本は111位。世界経済フォーラムが、各国内の男女間の格差を数値化しランク付けしたもので、経済、教育、政治、保健の各分野のデータから算出される。その国の中での男女差だけを見るので、その国の経済状況などに左右されない。ちなみに、研究者に占める女性の割合はOECD諸国内で長年最下位である。

 差別する側によく登場するのが「〇〇のくせに」という表現だ。これこそ、差別、いじめ、ハラスメントの根底にある、他人を自分より下に見て、相手に自分と同等の権利を認めない心を象徴する表現である。厄介なことにこの考えには合理的な理由がない。よく考えずに差別をし、しかもそのことを忘れる。だからこそ差別された側がおかしいと声を上げ続けなければならない。

 差別をされた経験をもつ者は、自分がまた他人を差別するという選択もできるし、自身の経験を活(い)かして他人が受けている差別にも反対していくという選択もできる。沖縄は日本でも最もひどい差別を受けてきた場所なのだと、移住して初めて痛感した。沖縄の方々と共に、様々な差別に反対の声を上げ続けていきたい。
(矢野恵美、琉球大学法科大学院教授)