<南風>活断層


社会
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 東京は新宿、不夜城歌舞伎町と花園神社に挟まれた数本の路地。新宿ゴールデン街と呼ばれる一角だ。

 狭い酒場がぎゅうぎゅうひしめき合い、かつては演劇映画関係者や文学マスコミ連中がとぐろを巻いていた。酔って議論のあげく最後は殴り合い階段から転落、それが毎晩繰り返されるという、かなり大人の街であった。

 その街の外れの小さな芝居小屋で、先日「二輪草」という舞台の作・演出をした。俺の本職は映画だが、並行して演劇活動も続けている。

 ゴールデン街から足が遠のいていたので、しばらくぶりに通って、変貌に驚いた。若者や観光客も増えているけど、とにかく外国人だらけなのだ。

 人種国籍性別年齢もバラバラ、東欧の老人の団体が物珍しそうにぞろぞろ見物していく。路地では中南米の女の子たちが騒ぎ、どこかの国の青年たちが店に入ろうか延々迷っている。夜も更ければ路地は外国人で溢(あふ)れ、歩くのも大変だ。

 毎晩、劇場の前に立って彼らを眺めながら、皮肉なものだと思った。

 国や自治体や代理店がバカ金かけて「美しい(褒めて欲しい)日本」を宣伝しても、外国人たちは、小汚い酒場が並んでいるだけの場所(元は青線)に集まってしまう。特別なサービスもなければ安くもない。なのにこうして自然に集まる。人は行きたいところにしか行かないのである。

 こういうズレこそ今の日本を象徴するものだ。歪(ゆが)んだ鏡像を眺めてうっとりしても、自分の顔はわからない。ズレの存在を認めようとせず、反省もせず、傲慢(ごうまん)にズレを作り出していけば、ズレはやがて危険な活断層と化す。

 俺には地鳴りが聞こえている。あなたはどうだろう。

 ※「二輪草」は好評で、8月上旬にまたゴールデン街劇場での再演が決まった。
(天願大介 日本映画大学学長映画監督、脚本家)