<南風>誰かを救う言葉


社会
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 海が大好きな私。小麦肌が地黒だと気づいたのは、中学生になった頃だったか。日焼けをしやすいこの肌は、陽に当たると赤くなることもなく、すぐにメラニンと結合し黒くなる。「紫外線も音楽も即吸収!」と、今では笑って話すが、小学校の頃は男の子たちにからかわれたりもした。肌色と名のついたクレヨンを恨んだ。「女の子なんだから、日焼けに気をつけなさい」と祖父に言われたりもした。その度に私は「大丈夫。私が大人になる頃には素晴らしい化粧品があるはずだ。私の肌は1個の大きなシミになる」と、わけのわからない反抗をした。

 外で働く父の肌は黒い。「お父さんのせいだ」「いゃいゃ、俺のお腹(なか)は白いぞ」と父は笑いながらシャツをめくった。確かに白い…。半べそかいて母の元へ行く。「お母さん…今日友達にサーターアンダギーって言われた」「あい!サーターアンダギー美味しいのにね。綾、真珠はね、白より黒真珠の方が高価なんだよ」。父には笑い飛ばされ、母からはよくわからない励ましを受けた。唖然(あぜん)とし、涙も何処(どこ)へやら。しかしながら、両親の笑顔と、美味(おい)しい・高価という言葉を受けて、これは別に悩む事ではないのだなと感じた。

 しばらくして、同じく地黒であろう女の子の友達が悲しげに話しかけてきた。「綾乃はさ、黒いって言われて嫌じゃないの?」。私は、母から言われた、サーターアンダギーは美味しい。黒真珠は高価。の話をした。大きくなって、その子と当時の話をした。「小学校の頃、悩んでいたけれど綾乃の言葉に救われたんだよ」。ありがとう、とお礼の言葉までもらった。

 私が言葉を大切にする、一つのきっかけになった出来事だった。言葉は誰かを傷つけ、誰かを救う。私は後者であり続けたい。ユニークな愛情をもって接してくれた、大好きな両親のように。

(上間綾乃、歌手)