<南風>牛糞と藍草


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 昭和50年代の古い話だが、琉球藍製造技術保持者の伊野波盛正氏に随行して牛小屋の牛糞(ぎゅうふん)採取に行ったことがある。雨靴を履いているとはいえ、深さ10センチほども積もった糞尿の中に入っての仕事であった。

 そんな時、遠くにいた牛が突如として私に近づいてきた。乳牛とはいえ大きな牛で、鼻先を向けてきたのだ。牛との接点がなかった私は頭突きされるのではないかと一瞬の恐怖で心臓の鼓動が聞こえるほどであった。二歩三歩後ずさりしたが、何せ足元は今にも滑りそうな糞尿の中である。尻もちだけは避けたい気持ちが強く、「あ~う~」の奇声を発したかもしれない。横にいた伊野波氏は薄笑いを浮かべながら近づく牛を遠ざけてくれた。人生危機一髪の怖い経験をした。

 実は、そんな牛糞が藍草の生育には必要なのである。主に窒素肥料だろうか。藍草を刈り取った後の切り株周辺に施す。雨の時期に急成長する藍草は有機肥料の他に合成肥料も補給する。

 藍畑は雑草の成長も早い。折を見て雑草取りが必要である。それに藍畑は連作ができない。数年に一度は切り株の更新と共に畑を変える必要がある。そんな時、伊野波氏は重機を使って畑の掘り起こしと藍株の更新をしておられた。山の斜面なので、耕運機などは全く使えない。藍草は挿し木で植え付けるが、直射日光を避けるため、古くは茅(かや)を被(かぶ)せていた。近年は農業用の紗(しゃ)を掛けている。植え付けのタイミングは雨が降りそうな天候を選ぶ。日照り続きになれば散水が必要であり、山奥でも水の溜池(ためいけ)がなければならない。

 台風の襲来は通り過ぎるのを待つしかない。藍草は塩害に弱く全体が黒く枯れてしまう。山の斜面を利用して栽培するのは土壌の乾燥と台風対策を考慮した結果である。谷底のような窪地(くぼち)に植え付けるのは苗木の保存と保護が狙いである。
(小橋川順市、琉球藍製造技術保存会顧問)