<南風>呪術


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 UFCという総合格闘技団体の試合をたまに見る。全世界から集まった怪物のような選手たちが、技術と体力を駆使して闘う。

 見ていると男女問わず、ほとんどの選手がどこかに刺青を入れている。いわゆるタトゥーから和彫、中華彫、デザインも諸民族の意匠の寄せ集めで、なかなか面白い。

 ほとんどの国ではスポーツ選手だけでなく、軍人も警察官もバンドマンも、不良もギャングも漁師も農民も、つまり誰でも普通に刺青を入れている。

 ところが日本では刺青=暴力団というイメージが強いためか、極端なアレルギーがある。大阪で公務員の刺青を巡る騒動があったし、北海道では刺青の外国人を温泉に入れる入れないで揉(も)めた。

 地上波だと格闘技の選手が襦袢(じゅばん)のようなものを着せられたり、ファンデーションを塗ってごまかしたりしている。法律に違反しているわけじゃないのに、これはもう暴力団排除を借りた異物の排除だ。何より美しくない。

 日本には刑罰としての「入墨」の歴史とは別に、文化的美術的伝統がある。江戸の職人たちは競って見事な刺青を入れた。海外の愛好者も多く、ヤクザの専売特許ではない。

 最近、若者の間にタトゥーが流行し、当たり前に見かけるようになったことも、保守的アレルギーを強めた理由だろう。異物が増殖したとき、排除ははじまる。行政は彫り師を規制しようとしているという。

 だが、思えば人類はずっと刺青を入れてきたのだ。ピアスも刺青も古代以前からの呪術的慣習だ。南西諸島はもちろん、日本全土に刺青文化は栄えていた。

 格闘技の選手たちは強さや力を求めて刺青を入れる。今も呪術が生きているのである。異物を楽しめばよい。少し模様が違う人がいるだけのことだ。
(天願大介 日本映画大学学長映画監督、脚本家)