<南風>炎のアドベンチャー企業


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 1997年、私は友人と2人で国際会議の運営を生業としたアンテナを創業した。起業を決意した時、知人から県産業振興公社が主催する創業塾で準備するよう勧められて参加した。

 慣れない計画書づくりに悪戦苦闘を重ね、とうとう発表の日が来た。華やかな国際会議の表舞台で、お客様の足元に人知れず配線される同時通訳の無線アンテナから社名を取った。これがなければ同時通訳の声は届かない。私たちの目指す国際会議運営の裏方の意味を重ね合わせた。しかし、結果は「この計画だと数年で立ち行かなくなる。計画性を高めること」と酷評であったが、無知な私は「やってみなければわからない」と無謀にも会社を立ち上げた。

 起業から3年後、幸運にも九州沖縄サミットが開催されて業績は上向き始め、見通しも立つようになったが、その翌年、不幸にもアメリカ同時多発テロ事件が起こった。たちまち国際行事は激減し、仕事はほとんどなくなってしまった。

 困り果てていたその時、米軍基地内のビジネスを地元企業に広めたいので、セミナーができるかという問い合わせを受けた。社員の一人が「勇気を出して新たな道に挑戦しよう!」と全員を説得し、弊社は大きく舵(かじ)をきった。これを機に、現在は国内企業向けに米軍基地や海外取引のための英語実務やコンサルを行っている。数年前、創業塾でお世話になった先生と話す機会があったが、今は起業に必要な項目として、人・モノ・金・情報に「運」を付け加え説明しているそうである。

 20年連れ添った友人を含め、社員のほとんどは海外生活の長い人材だが、外国語を大の苦手とする社員も経理として雇用している。彼女はアップダウンを繰り返す自社のことを、「ベンチャーなんてとんでもない、うちはアドベンチャー企業ですよ」と、よそでのたまっているらしい。
(石原地江、有限会社アンテナ代表取締役)