<南風>マネージャーとして始動


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 東日本大震災が起きた後、予定していた第2回親善試合が開催断念に追い込まれました。被災地への配慮や企業の自粛で、運営側も苦渋の決断だったと思います。

 親善試合は当時唯一の実戦の舞台でした。練習場所も時間も限られた厳しい環境の中、それを目標の一つとして、選手たちは日々の練習に打ち込んでいました。開催断念を知ったら彼女たちはどう思うのか。

 被災地への配慮という運営側の決断も十分理解できました。と同時に、頑張っている選手の気持ちも痛いほど分かりました。どうしたらいいのか。当時のマネージャーや数名の選手と話し合いをしました。

 そんな中、選手から全国大会に出場したい、と申し出がありました。だが当時はまだそんなレベルではないとの判断もありました。

 確かにまだ出場には早いかもしれません。しかし、全国のレベルを知る意味では、早いに越したことはない。見て体感して今後につなげればとの考えで、後押しをしてくれたのが現代表です。意見がかみ合わず傾きかけたチームを、現代表が選手の気持ちを必死につないでくれました。

 そんな選手や代表の強い思いがあるなら、私にも何かできないか。

 誰かがやらなければこのチームは廃部になりかねない。せっかく立ち上がったチームをここで止めたら、今後の沖縄に女子硬式野球チームは誕生しない。みんなの力になりたい。それなら私が、との思いでマネージャーを引き受けました。

 チームが全国へ出場したことにより、新しいスタッフでのティーダバルが走りだしました。

 頑張っている選手の、人を動かす力ってすごいな。スポーツっていいな。このチームが大好きだな。女子野球に飛び込んだ私もチームと一緒に成長しよう。そう思った瞬間でした。
(新垣かおり、女子硬式野球沖縄ティーダバル マネージャー)