<南風>県史シンポから


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 今年3月、43年ぶりとなる沖縄戦を扱った県史が発刊された。沖縄戦研究の進展や市町村史などで記録された住民の体験を反映したもので、体験者の減少を受け、継承についてもまとめられている。

 沖縄の公的な歴史に、障がい者と共にハンセン病患者の戦争体験がようやく位置付けられた。それもまた、療養所で暮らす人々が声を上げ続け、強い思いの下にまとめられた記録を反映したものだった。

 5月に開催された発刊シンポジウムでも、体験者の減少を受け、改めて体験をのこす重要性も語られた。

 体験をのこすことと継承は別の問題として語られたりもするが、二つのことは密接に関わってもいる。

 その最前線で日夜がんばっている一員は市町村史の職員だ。本をつくる作業は地道で、息の長い仕事だ。何年もかけて、証言や資料を集め、本を編んでいく。戦争体験のように思い出したくない内容を話してもらうのは、勿論(もちろん)簡単なことではない。何度も足を運び、少しずつ語られた体験を記録していくが、その作業自体が既に継承を孕(はら)んでいる。

 過去を話すことはその瞬間に立ち戻ることでもある。表情や口癖、仕草、何気ない一言など記録にのこすことが難しいものもある。しかし同じ空間を共有し直接対面して聞いた人に、話された内容と共に降り積もっていくものがある。話を聞くことは、人生を分けてもらうことだといつも思う。

 そのような最前線で働く人々の圧倒的に多くが、嘱託や臨時という非常に不安定な身分におかれている。仕事内容は複数年にわたるが、最初から最長の年限が決められているところもある。ボーナスや退職金もなく、家族を養うのは非常に厳しい。

 体験者がゼロになる時代は確実に近づいてきている。沖縄、本当にそれでいいのか?
(辻央、沖縄愛楽園交流会館学芸員)