<南風>家族が一番泣いた日


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 障害があり、腎臓も患い、闘病生活を続ける兄のことは前回触れました。月日は流れ、兄の病状も悪くなり、週に3回の透析が始まりました。透析をして10年が過ぎたころからか、さらに症状が思わしくなくなったのです。血圧低下で予定通りに透析ができず、むくみが出たり、腹水が溜(た)まったりし始めました。

 それでも、生まれた時から病気と一緒に生活してきた兄のことですから、こういった症状も大丈夫だろうと、私はあまり深くは考えていませんでした。まだまだ長く生き続けてくれると思っていました。

 歩くのもままならなくなった兄を担いで車椅子に乗せたりして、父の身体への負担も最後の1年は大変だったと思います。

 兄が亡くなる前の半年間ほど、私は実家で生活しました。真夜中に起こされ病院へ行く日も度々でした。

 最後の入院となった時、透析しても腹水がまた溜まり、大好きな食べ物もさらに食べられなくなり、見ていて辛(つら)くなりました。私が兄に届けた最後の食べ物は大好きだったアイスクリームです。もう一口食べたがっていましたが、体に良くないと止めてしまいました。あの時、もう一口あげておけばよかったと今でも心残りです。

 数日後、兄は他界しました。幼いころ、悔しくても兄のことでは涙を流さなかった家族が一番泣いた日になりました。

 兄が亡くなり15年。兄と過ごした30年は、幼いころの思い出から今でも忘れることなく、覚えています。

 兄がいたからこの家族がある、兄を育てた強い両親がいたから私たち姉妹の固い絆がある、と今でも素直に両親と兄を誇りに思います。感謝の気持ちでいっぱいです。

 これからも兄のことを思い、両親を中心にいつまでも仲の良い姉妹でいられたらと思います。
(新垣かおり、女子硬式野球沖縄ティーダバル マネージャー)