<南風>100歳と1歳の合同誕生会


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 1歳半を迎えた娘の最近の特技は「タッチ」だ。人はもちろん、シーサーや猫などいろんなものにタッチしている。特にシーサーを発見する何か特殊な装置がついているようだ。シーサーに対する反応が、すごい。

 豆腐ジョーグーでウーマク一直線の娘と暮らすなかで改めて考えてしまうのは、昔ハンセン病を患った人々が、子どもを産み育てることを許されなかったのはなぜなのかだ。

 本来、病気や障がいと子どもを産み育てることは別の問題だが、療養所のなかではそれは一直線上のこととされてきた。しかも、それはそんな昔の話ではない。今、私が聞いている堕胎されそうになった一番最近の事例は復帰の頃だ。その人は、家族のサポートもあり、堕胎を拒否し、子どもを産むことができたが、その頃も愛楽園で子どもを産むことは当たり前でなかったと話してくれた。私は今、38歳。その子といくらも年は変わらない。

 それは、有効な治療薬の使用から20年以上が経(た)っていた時代。圧倒的に多くの人がハンセン病患者ではなかった時代の、私たちの社会で起こっていた出来事。現在でも、どれだけの断種や堕胎が療養所で行われたのか、その数は不明だ。

 昨年12月、100歳を迎えた佐智子ばあちゃんと娘の合同誕生会をした。佐智子ばあちゃんは、愛楽園ができてからずっとここで暮らしている。在園79年。100歳と1歳の誕生会なので、ろうそくは1本。ろうそくを消してもらい、佐智子ばあちゃんと私と連れ合いの3人でケーキを食べた。来年のろうそく2本の誕生会は、娘も一緒に吹き消して、食べられるだろう。

 たくさんのことを練習中の娘だが、そこにいるだけでたくさんの人を笑顔にする。「また、おいでね」と帰るとき、後遺症ののこる手とタッチしてまた笑顔に変える娘。かなわないなあ。
(辻央、沖縄愛楽園交流会館学芸員)