<南風>真っ青な手


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 昭和30年代の話、本部町伊豆味では藍づくりの季節になると、生産者の両手は藍色に染まる日々だった。藍玉が仕上がる頃は現金収入に期待する喜びがあった。

 竹籠(かご)に芭蕉(ばしょう)の葉を敷き、この中に藍玉を詰めて主な消費地の那覇まで売りに出かけた。那覇の業者が買い付けに来ることもあったが、伊豆味から売りに出かけることもあった。藍玉を売り上げた後はバスで帰ったそうである。

 そんな折に車中で最も気にしたのは両手が藍色に染まっていることだった。満員であれば立つことになるが、両手はポケットに入れて隠したという。ところが伊豆味までは長旅であり、うとうと睡魔に襲われる時もあった。案の定、両手はポケットから飛び出し、手すりを捕まえて立っていたそうだ。一瞬、目が覚めて驚いたことに周囲から乗客がいなくなっていたという。真っ青の手は何か怖い病気の持ち主ではないかと勘違いされたようである。

 これは昔話の一つとして前伊豆味区長の伊野波盛明氏から伺った話であるが、藍玉づくりの範囲が狭まり、伊豆味地域に特化された頃の逸話として興味深い。

 昭和40年代に伊豆味へ行くのは怖かった。名護から伊豆味までは細い一本道だったのだ。対向車と擦れ違うのがとても嫌だった。幅寄せを間違えば谷底に落ちそうな感覚だった。でも、伊豆味の藍づくりを見たくて通い続けた。

 藍玉の話は、薩摩藩の封建的な統制策とも関わるが、カーボーイが着たジーンズとも関係し、歴史的な話題性には事欠かない。

 琉球藍は伝統染織品を支える貴重な原料であるが、時として筆者の頭にあるのは、中国雲南省で商品化されている琉球藍の漢方薬「板藍根(ばんらんげん)」である。風邪薬の他に「子供のアレルギー治療薬」の効能が評価されており、今後は複合的な研究が必要である。

(小橋川順市、琉球藍製造技術保存会顧問)