<南風>原動力


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 高校に入学し、すぐに足に腫瘍が見つかった。

 再発を繰り返し、高校生活の大半の思い出は、手術と入院の繰り返しだった。

 親元を離れて過ごす初めての入院に、一人暮らしの気分で楽しさを感じながら迎えた術後は、笑顔が消え、嘔吐(おうと)を繰り返し、やせ細った体になっていた。

 退院後、リハビリを行い、大好きな部活動ができるようになったかと思えば、医者から再発を告げられた。その数カ月後にもまた再発。大好きなスポーツはできず、修学旅行は包帯を巻き、学校の行事も座っていることが多かった。できることが限られていた。

 度重なる再発に、悔しくて涙が止まらなかった。弱い自分は見せたくないと強がっては、友達に八つ当たりし、何度も喧嘩(けんか)。その度に泣いていた。友達は嫌われてもいいからと声をかけてくれた。怒ってくれた。授業のノートを病室に持ってきて、いつも笑って病室を明るくしてくれた。一緒に泣いて笑ってくれた。「頑張れ」じゃない「頑張ろう」だよ。一緒に頑張ろうと励ましてくれた。

 苦しんでいる仲間に手を差し出す勇気や思いやる心にどれだけ助けられただろう。家族や仲間の存在にどれだけ助けられただろう。

 苦しかったの言葉より、病気に出会えたことに感謝したい。失ったこと以上に得たことが大きかった。自分の弱さを知り、家族や仲間の大切さを知れた。

 高校卒業から10年後、当時の体験が著書「刻まれた21センチ」として全国発売された。当時の私と同じ年の子を持つ読者から「私の娘も同じ状況で心が救われました」など葉書やメールで多くの「ありがとう」を頂いた。何もできなかった自分が、誰かの心の支えになれたことが心から嬉(うれ)しい。ひとつの恩返しができた。

 今振り返ると、この経験が今の原動力になっているのだろう。
(玉元三奈美、世界若者ウチナーンチュ連合会代表理事)